伝説の都市アルバ・ロンガとは
アルバ・ロンガは、古代ローマの伝説に登場する都市国家であり、ローマの起源に深く関わる重要な都市です。伝説では、アルバ・ロンガは、ローマが建国されるよりも遥か昔に建国され、ローマ建国者ロムルスとレムスが誕生した都市でもあります。つまりローマの母都市です。
また、英雄ユリウス・カエサルの祖先が、ローマに移住する前に住んでいた場所ともされています。現在アルバ・ロンガの正確な歴史や遺跡は不明な点が多く、伝説と考古学的証拠が交錯しています。今回はそんなアルバ・ロンガの歴史や、アルバ・ロンガを感じられる観光名所を紹介していきたいと思います。
アルバ・ロンガの建国
アルバ・ロンガは、ローマ建国以前にラティウム地方で栄えた都市国家であり、その起源はトロイア戦争(トロイの木馬で有名)に遡ります。伝説によると、トロイア戦争で敗北した、トロイアの青年アイネイアスがギリシャ人の侵攻から逃れ、イタリア半島にたどり着いたことが、その建国の始まりとされています。
アイネイアスはラティウム地方に上陸し、現地の王ラティヌスと同盟を結びました。彼はラティヌスの娘ラウィニアと結婚し、新たな都市「ラウィニウム」を建設しました。アイネイアスの子孫の中で、特に重要な人物として知られるのが、彼の息子であるアスカニウスです。アスカニウスはラウィニウムを引き継ぎましたが、後に、より大きな都市を建設することを決意し、新しい拠点としてアルバ・ロンガを築きました。
ラティウム地方の中心都市アルバ・ロンガ
ローマに主導権を奪われるまで、アルバ・ロンガはラティウム地方に住むラテン人の中心都市でした。ラティウム地方とは古代イタリアの中部に位置し、現在のイタリアのラツィオ州に相当する地域です。アルバ・ロンガは、現在のローマ南東部に位置するアルバ山(現在はモンテ・カーヴォと呼ばれている)の麓に築かれ、周囲の丘陵地帯と豊かな自然環境に恵まれていました。この地理的な優位性が、防衛に適していただけでなく、ラティウム地方の各都市との交易や外交の中心地となる要因となったと言われています。
軍人面においては、アルバ・ロンガが主体となり、ラテン同盟を結成しました。ラテン同盟はラテン人の都市国家や部族が結成した緩やかな連合体です。この同盟は、共通の言語や宗教、文化を持つラテン人が、外敵からの防衛や経済的な利益の確保を目的として成立しました。特に、エトルリア人やサビニ人、ウォルスキ人、アエクイ人など、ラテン人以外の勢力との対抗が重要な要因となっていました。
宗教においても、アルバ・ロンガはラティウム地方の精神的な中心地となっていました。ラテン人が共通して信仰していたユピテル(ジュピター)を祭る神殿がアルバ・ロンガに建てられ、毎年、ラテン都市の代表者たちが集まり、祭儀を行う場所として機能しました。この祭儀はフェリア・ラティーナと呼ばれ、ラテン同盟の結束を強める重要な役割を果たしました。
ローマの建国者 アルバ・ロンガに生誕
後のローマの建国者、ロムルスとレムスの祖父であるヌミトルは、アルバ・ロンガの正当な王でした。しかし、彼の弟であるアムリウスは、王位を奪い取るためにクーデターを起こし、ヌミトルを追放しました。アムリウスは、ヌミトルの血統が自らの王位を脅かすことを恐れ、ヌミトルの娘レア・シルウィアをウェスタの巫女にしました。ウェスタの巫女は、聖なる誓いを立て、生涯独身を貫くことが義務付けられており、こうすることでヌミトルの家系が絶えることを狙ったのです。
しかし軍神マルスがレア・シルウィアのところに現れ、彼女との間に双子をもうけました。それが後のローマの建国者ロムルスとレムスです。ロムルスとレムスは赤子のうちに、アムリウスに殺されかけ、川に捨てられることになるのですが、後に立派に成長し、アムリウスを打倒して、祖父ヌミトルをアルバ・ロンガの王座に戻します。
祖父ヌミトルはロムルスとレムスにアルバ・ロンガ王になることを進めますが、ロムルスとレムスは自分たちの都市を築くことにしました。それが後のローマです。


アルバ・ロンガ – ローマへの従属
ローマの第3代王トゥッルス・ホスティリウス(在位:紀元前673年~紀元前642年)は、軍事的拡張を積極的に進めた王でした。彼の時代に、ローマとアルバ・ロンガの間で緊張が高まり、ついに戦争が勃発しました。
両都市は互いに軍を動員しましたが、戦争が大規模な戦いに発展する前に、三つ子同士の決闘(ローマのホラティウス兄弟 vs アルバ・ロンガのクゥリアティウス兄弟)によって決着をつけることが提案されました。これは、戦争による大規模な損害を避けるために合意されました。
決闘の結果、ローマのホラティウス兄弟の一人が生き残り、アルバ・ロンガのクゥリアティウス兄弟は全滅しました。この敗北により、アルバ・ロンガはローマの従属国となり、独立を失うことになります。


アルバ・ロンガの滅亡
アルバ・ロンガ王メトゥス・フフィウスはローマへの忠誠を誓いながらも、密かにエトルリア人の都市フェデナエやウェイイと結びつき、ローマに反抗しようと画策していました。ローマ王トゥッルス・ホスティリウスは、この裏切りを見抜き、都市フェデナを戦争で降したのちに、メトゥスを処刑しました。その処刑方法は残虐で、手足をそれぞれ馬に結びつけ、馬を逆方向に走らせることで四つ裂きにしました。
その後、アルバ・ロンガの住民はローマに強制移住させられ、アルバ・ロンガは破壊されました。多くのアルバ・ロンガの貴族たちは、ローマへ強制移住の後、ローマ王の補佐機関である元老院に組み込まれることになります。これにより、アルバ・ロンガは名実ともに消滅しました。

アルバ・ロンガの跡地に作られた町 観光スポット
現在アルバ・ロンガの正確な歴史や遺跡は不明な点が多く、アルバ・ロンガはローマに敗北した際に、完全に破壊された為、アルバ・ロンガが築いた遺跡や建物は残っていませんが、アルバ・ロンガがあった場所に築かれた町、アルバーノ・ラツィアーレ(Albano Laziale)があります。
カステッリ・ロマーニ(Castelli Romani)と呼ばれる、アルバ丘陵にある町の一つです。古代ローマ時代からの長い歴史を持ち、アルバ・ロンガの遺産を受け継ぐ都市のひとつとされています。自然の景色が美しく、ローマの貴族や法王たちの別荘地としても発展しました。そんなアルバーノ・ラツィアーレ(Albano Laziale)にある観光地を紹介していきます。
モンテ・カーヴォ(Monte Cavo)の山頂 – アルバ・ロンガ所縁
モンテ・カーヴォ(Monte Cavo)は、ローマ南東約20kmに位置するアルバ丘陵の最高峰(標高949m)です。山頂へはハイキングで登ることができ、美しい景色を楽しめます。
かつてはアルバ山と呼ばれ、その麗にアルバ・ロンガが築かれたとされています。山頂には、アルバ・ロンガが建てたユピテル・ラティアリス(Jupiter Latiaris)を祀る神殿がありました。この神殿で、ラテン同盟の都市国家が毎年合同でフェリア・ラティーナを開催し、祭儀を行っていました。現在この神殿は基礎しか残っていませんが、山頂からはローマ市街やティレニア海、アルバーノ湖やネーミ湖を一望できるため、ローマからの日帰り絶景スポットとしても知られています。
アルバーノ湖(Lago Albano)- アルバ・ロンガ所縁
アルバーノ湖(Lago Albano)は町のすぐ南に広がる美しい火山湖。アルバ・ロンガ時代から「神聖な湖」とされ、ラテン祭(フェリア・ラティーナ)の聖地のひとつでした。現在はカヌーやボートなどのアクティビティが楽しめます。
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ネーミ湖(Lago di Nemi)- アルバ・ロンガ所縁
ネーミ湖(Lago di Nemi)は、イタリア・ラツィオ州にある火山湖 で、ローマの南東約30kmに位置します。古代ではディアーナ・ネメレンシス(ローマ神話の狩猟・月の女神)を祀る神聖な場所 で、アルバ・ロンガ人にとっても重要な聖地 であり、後にローマ人も崇拝するようになりました。ネーミ湖は、アルバーノ湖の西側にあり、小さな円形の湖で、湖畔の風景や歴史的な遺跡、美味しいイチゴで有名です。

カラカラの大貯水槽(Cisternoni di Albano)
カラカラの大貯水槽(Cisternoni di Albano)は、アルバ・ロンガとは関係がありませんが、3世紀頃ローマ皇帝カラカラによって建設された巨大な貯水槽で、アルバーノ・ラツィアーレの水供給の中心でした。現在でも保存状態が良く、内部に入ることも可能です。ローマ時代の水利施設としてはイタリアでも最大級のものの一つです。
ローマ軍のカストルム(Castrum Albano)
ローマ軍のカストルム(Castrum Albano)は、アルバ・ロンガとは関係がありませんが、アルバーノ・ラツィアーレにあったローマ帝国の軍事拠点(カストルム)です。これは、皇帝セプティミウス・セウェルスが創設した第二パルティカ軍団(Legio II Parthica)の駐屯地として使われていました。
アンフィテアトルム(Roman amphitheater)
アンフィテアトルム(Roman amphitheater)はアルバ・ロンガとは関係がありませんが、ローマ時代のアンフィテアトルム(円形闘技場)で、ローマのコロッセオほどの規模ではないものの、ローマ軍団の訓練や戦闘の模擬演習が行われた場所と考えられています。

まとめ
アルバ・ロンガは、ローマ建国以前にラテン人の中心都市として栄えた伝説的な都市国家でした。ローマの建国者ロムルスとレムスもアルバ・ロンガの血を引いており、ローマのルーツとも深い関わりを持っています。
アルバ山(現在のモンテ・カーヴォ)を中心に発展し、ラテン同盟の宗教的・政治的な拠点であったアルバ・ロンガは、ラテン人の文化や精神を育んできた都市とも言えます。
現在、アルバ・ロンガの遺跡は、ほとんど残っていませんが、美しい風景を見ながら「かつて、ここにアルバ・ロンガという伝説的な都市があったんだ」と思いにふけるのも良さそうですね。

コメント
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